宿に戻った我々は、夜に備えて夕食をとることにした。レストランまで歩いていき、食事の間に、チリのクワガタについて色々教えてもらうことが出来た。セルジオ氏は南米大陸のあちこちで採集をしており、また、色々と詳しい。最近はボリビアの昆虫に興味を持っているらしく、彼からボリビアの昆虫の話が何回か出てくる。何でもボリビアで、すばらしい採集場所を見つけたらしいのだが、なかなか昆虫を採集してくれる人が見つからないので苦労をしているそうだ。交通も相当不便らしく、この辺が価格が高くなる原因があるそうだ。サターンカブトについても詳しく、ひょっとしてこいつしか知らないんじゃないか、と思うような事が次から次へと出てくる。「本を書いたら?」と聞いてみたところ「そのつもりでいる」らしい。近い将来ホームページも作る予定らしく、楽しみだ。

山の夜は早く訪れる。食事が終わり、レストランの外に出ると、空は既に想像を絶する数の星で埋め尽くされているのであった(天の川と他の星が区別できない程!)。月はまだ地平線の下にあり、風もなく、なかなかいい状態だ。今夜こそコガシラクワガタ属を捕まえるぞと喜んでいたが、どうもセルジオ氏の様子がおかしい。

「・・・・・・」しばらくの沈黙。

町の灯り探していた私は彼の沈黙の意味が分かった。全てオレンジ色の街灯なのだ。虫が集まるのは白銀灯や蛍光灯のような白くて明るいライトである。オレンジ色の街灯は、虫を寄せ付けないように作られた灯りのようなものだ。セルジオ氏は昨年までは全て白銀灯であったのに、と事態を「カタストロフィック」と悲観し始めた。仕方ないので町中を歩いてみる。小さい町なのであっと言うまだ。全ての街灯はオレンジ色のものに変わっていた。街灯は、それはすばらしい位置にあるものばかりだ。山の中の小さな町。小さな町の割にはしっかりとした街灯で、目の前には山と森が広がっている。

一軒、おみやげ屋が3本の蛍光灯を煌々とつけていた。こいつはチャンスかもしれんと、セルジオ氏にここでトライしてみようと話す。彼は、明かりが全て変わったことが相当ショックだったらしく、元気がなくなってしまった。10時半。ウグイスコガネの小さい奴が集まり始めた。みるみる虫の数が増えてくる。こいつはいけるかもしれない!セルジオ氏も少し元気が出てきたようだ。

が、次の瞬間に明かりは全て消えてしまった。ゲームオーバー。最悪の灯火採集となった。

宿に帰る途中、セルジオ氏がもう一軒の民家に行こうという。一軒の民家につくと、セルジオが大声で「アロー!!」と叫ぶ(スペイン語で「ハロー」(ごめんくださいってことか)という意味)。今度は背の高いおっさんが中から出てきた。中に入り、彼の収穫品を見せてもらった。得意分野はカミキリらしく、それはすばらしいカミキリ類がいくつも出てきた。クワガタはChiasognathus jousseliniが数匹。採ることは出来なかったが、まだ柔らかい新鮮な個体を見て、少し満足。こいつらは、もう少し標高の高いところにいて、なかなか捕まらないそうだ。このような、おっさん達のみが採集ポイントを知っているのだという。C. jousseliliの成虫の寿命は8〜10日と短いという。

宿に戻る途中、毛深いカミキリを2匹拾うことが出来た。図鑑で見たことがある奴だ。こいつは昼間見たでかいカミキリのオスとのことだった。毒瓶を持っていないので、1匹はセルジオ氏に渡し、手に持って帰る。セルジオ氏の手にあるカミキリはシャコシャコと元気よく鳴いている。チリではこいつを「ジーコ」と呼んでいるとセルジオ氏が言う。頭にサッカーのジーコを思い浮かべている私に、彼は「ジーコ、ジーコ、ジーコって鳴いているだろ?だからジーコって言うんだ」と言った。チリ人の虫に対する感覚は日本人に近いのかもしれない、とその時私は思った。しかし、彼のジーコは元気よく鳴いているのに対して、私のジーコは全然鳴いていない。前胸は動いているのにおかしいと思って見ていると、セルジオ氏は「持ち方が悪い」と自分の持ち方を見せてくれた。彼は、後ろ脚を一本持っているだけであった。同じ持ち方をしてみると、なぜ自分のジーコが鳴かなかったのかが分かった。こいつらは後ろ脚を翅にこすりつけて鳴いているのだった。

「ジーコ、ジーコ、ジーコ」とセルジオ氏とジーコの合唱が、逆さまに上がってきたオリオン座の空に吸い込まれていった。

宿に戻った私は、くわ馬鹿ダウンロードバージョンをセルジオ氏に見せたところ、熱心に見ていた。彼らにとって、同じ趣味を持った人たちが集まる様な恵まれた環境は、うらやましくて仕方がないという。チリの標本商としては、彼の他に一人くらいしかいないとのことであった。


< 戻 る >

< ちっこいクワについて >